20140210(月)おじいちゃんが死んだ

昨日の時点で保育園バスが雪で運休の連絡がきていた。

てっちゃんは6時50分に家を出ることになっていたので、駅まで私が車で送った。道はめっちゃ凍っててまじでこわかった。

行って帰って20分ほどかかり、子どもたちはえみちゃんの送りにまかせて私は家に戻ってすぐ出勤。

最寄のバス亭で待っていると、他に待っていた人からトレーラーが横転したとかでバスが右往左往状態だと聞いた。しかたなく、歩いて駅まで向かうことに。ちなみに徒歩で30分ちょっと。

歩きながらふと携帯をみるとお父さんからメール。

『おはよう。王子のおじいちゃんがなくなりました。葬儀等については決まりしだい連絡します。』というメールともう一件『わかりました』という弟からのメールが入っていた。

わたしも『わかりました』と返信をした。

どうしたらいいかわからなかったからえみちゃんに連絡をした。泣いた。

雪のせいもあり下をむきながら涙をこらえて歩いてた。

空をみると雲の真ん中に穴が開いていて空全部がその穴にすごい早さですいこまれてた。

気持ち悪くなってまいったなぁと思ってたらえみちゃんから着信。

「会社早退してでもちょっと行ってきなさいよ。こっちは大丈夫だから」と言われた。

確かにと思った。一人で看取ったであろうおばぁちゃんの事を思い出して心配になり「今からいくから」と電話した。おばぁちゃんは気が緩んだと言って泣き出した。

東十条にある葬儀屋へつくとお父さんとお母さんとおばぁちゃんが葬儀屋さんと打ち合わせをしていた。

おじいちゃんがいる霊安室へ行くとほんとに死んでたし触るとほんとにつめたかたった。

打ち合わせが終わり蕎麦屋で昼食。おばぁちゃんが「今日はご飯が食べられた」と言っていた。

おじいちゃんは亡くなる3日前からほとんどご飯を食べていなかったそう。

今朝もおばぁちゃんが2回目の息をしているかの確認をしにいくと、息をしていなく体もみるみる冷たくなっていったそうだった。時間は4時半。

92歳の大往生とはいえ、やっぱりさみしい。

おじいちゃんは当時映画技師をしていた。

おじいちゃんはカメラが大好きで特にビデオカメラをいっつもとっていた。

夕方のニュースでおじいちゃんの撮った映像が流れたこともあった。

おじいちゃんの家にはおじいちゃんのとった写真やビデオはたくさんあるけどあまりおじいちゃんが写っている写真はない。たまたま見つけたアルバムに産まれたばかりの私を抱っこしているおじいちゃんの写真があったのでもらってかえった。

帰りに椎名町のおじいちゃんとおばあちゃんの家によって王子のおじいちゃんが亡くなったことを報告。

それを聞いた椎名町のおじいちゃんが「人間は生きてなきゃおしまいだなぁ」とでっかい声で言っていた。